おはこんばんにちは。ゆにーくげいと(略称:ゆにげ)です。
それなりに続けてきたこのブログですが、ずーっと書こう書こうと思い続けて書いていなかったことがあります。
自己紹介。
中高生で転校したわけでもなし、新卒で入社したばかりでもなし、遊んでてするわけでもない。
ブログの自己紹介ってどんな事書けばいいん?!
どこまでさらけ出しても大丈夫なん!?
…と結構長い期間悶々としていました。んで、他の方々の自己紹介の書き方を参考にさせていただいてました。
参考にさせていただいた方々のサイト
例えばブログ界では超有名な「ヒトデ」さん。
アフィリエイターのクロネコ屋さん。
吉田彩さん。
これまたアフィリエイト界では有名でこちらの本を書かれている鈴木こあらさん。
雑記ブログを書かれているというサキさん。
www.nubatamanon.com(現在リンク切れ)
こちらの有名な本を書かれているかん吉さん。
そしてnapiさん。
www.napiiro.com(現在リンク切れ)
と、他にも拝見させていただいた方はいらっしゃるのですが、それぞれの方がいろんな書き方をされていまして、それらの中でも一番参考になったのがid:nappiy さんのところでした。
コメント欄に許可をいただきたいと書いて、いただけました!ありがとうございます!
基本情報
- ギリギリ30代男です
- 食べ物に好き嫌いありません!…ミントソースを除く…
- 関東圏在住です
- 最近はマウンテンバイクで当てもなくさまようことが多いです
- 酒は好きでも嫌いでもないですがたまにバー巡りしたりしてます
幼少期
産まれ
父の仕事の関係で海外産まれです。といっても父の仕事はあくまでも普通のサラリーマン、技術者です。外交官とか商社とか銀行とかではないです。幼稚園は日本でしたが小学校入学前にまた海外へ行きました。
出身を聞かれると困る
ですので「出身は?」と聞かれると少し困ります。出身の定義って何?ってところから始まります。産まれや育ちでしたら海外ですし、思い入れのあるところも同じです。でも国籍は純日本人です(産まれたところは両親の国籍に依存する決まりでした)。
時と場所、状況と相手を選びますが、関東出身と答えることもあれば海外出身と答えることもあります。基本的には産まれ・育ち・思い入れのある場所は海外です。
幼いころの記憶
本当に産まれて数ヶ月くらいの時に、青空市場をベビーカーに乗ってて、日差しがあったかくて気持ち良くて、でも背もたれは麻みたいな材質で寝た記憶があります。
こんな子供だったそうです
夜泣きすることもほとんどなく、病気や怪我もほとんどなく手のかからない子供だったそうです。朝早くなぜか牛乳の入った瓶を片手に「ミルク飲む!」と起こしに来ていたそうです…。
小学校時代
日本人学校に通っていました。
とにかく習い事が多かった気がします。
- 合気道
- 公文
- ピアノ
- 英会話
- サッカー
- テニス
今考えると周りの子がそれくらい習い事をしていたんでしょう。親同士のマウンティングもあったのではないかと…多分ですけどね。
役立った習い事
公文
これらの習い事の中で特に役に立ったのは公文です。のちに高校受験をするんですが、数学の暗算はとても役立ちました。
英会話
それから英会話。
小学校6年生と中学校二年生、2回ホームステイに行かせてもらったり現地の合気道場では英語でなんとかやり取りができました。先生は日本人(現在リンク切れ)だったんですけど他は全員現地の方でしたから。
それから現地の言葉が分からなかったので、言葉が理解できなくても何となくの英語で見聞きできるMTV*1をよく見ていました。
音楽
この、MTVをほぼ毎日暇な時に見ていた関係で80年代~90年代の洋楽はほぼ分かります。
マイケルジャクソン
マイケルジャクソンは神でした。ボーカル・ダンス含めたパフォーマンス、そしてその存在。あらゆる意味において。本当の意味で「King of POP」です。
ブライアン・アダムス
それからブライアン・アダムスの「アイ・ドゥ・イット・フォー・ユー」は連続17週(!?)ランキングNo1で聞き飽きていました。よく覚えています。歌詞が解る今はいい曲と思えます。
マライア・キャリー
そういえば思い出しましたがマライア・キャリーがメジャーになり始めたのもこの頃でした。「エモーションズ」のミュージックビデオは衝撃的で、力強い歌声と7オクターブ(?)の高音域を操る女性シンガーとして幼いながらも鳥肌が立ったことをよく覚えています。
ボン・ジョヴィ
ボン・ジョヴィも欠かせません。「Livin’ On A Prayer」は今でもテレビやラジオで流れるほど有名ですもんね。
ガンズ・アンド・ローゼズ
この頃ターミネーターが流行りました。その主題歌を担当したGuns n’rosesの「 You Could Be Mine」はヤバかった。テンションの上がるあの高音域に勝るボーカルはなかなか巡り会えないと今でも思います。ボーカルのアクセル・ローズの破天荒ぶりもニュースになっていました。
好きな洋楽についてはここでは語りつくせませんので別記事にしようと思います。
テレビゲーム
今は普通に普及しているテレビゲーム「ファミリーコンピューター」が出たのもこのころです。ですから今ps4の画面とか見ると未だに衝撃を受けます。VRが流行るとか、時代を感じます。
マウンテンバイクとの出会い
マウンテンバイクと出会ったのが高学年になってからです。それまで乗っていた自転車があまりにもチェーン外れが多く、周りの友達もマウンテンバイクに乗っている子が多かったので両親に泣きながら訴えて買ってもらいました。
買って、届いてすぐ友達からの誘いがあって即山に遊びに行きました。と、言っても近くにはマウンテンバイクで遊べるような山はなかったんです。
朝6時集合で片道3時間のところにある山に遊びに行って、終日・昼ご飯抜きで山の中を走り回って、また3時間かけて帰ってくる日が楽しくてしようがありませんでした。
中学時代
初恋を経験したのがこの頃です。
続いていた習い事
中学校一年生ではまだピアノと合気道、英会話は続けていました。
意識し始めた高校受験
それからこの時は日本の「受験戦争」という情報が届いていて、中学生ながら「大学受験はしたくない!高校大学一貫の学校に行ければいいなぁ」と思っていました。
周りも同じように意識はし始めていて、
- 日本の高校を受ける
- 日本の高校だけど海外にある高校を受ける
- インターナショナルスクールへ行く
と三つに別れていました。
確か中学二年になる直前の春に塾に通い始めたような気がします。周りが超優秀で、ついていくのに必死でした。開成とか灘、早稲田、慶応、青学、成蹊、成城などなど軽く合格するような面々でしたから…。
長期休みでも一日あたり10時間は勉強していました。
ただ、親に勉強をしているところを見られるのが嫌で、足音や気配を感じるとマンガを読む演技をしていました。
高校時代
男子校で、両親がまだ海外だったので一年生の時は寮に入っていました。
二年生になると同時に両親が帰国したので僕も実家へ。片道約2時間かけて通学していました。
男子校らしく、女っ気は全くなし。
ただ、ESS部*2に入っていて、他校との交流があったので他の部活に比べれば女子と接する機会は多かったです。それが後にどうにかなったと言えばどうにもなっていませんがw
ESS部と言いつつも、定期的な他校とのディベート*3交流以外は部室で日本人同士でディスカッションを繰り返す妙な毎日を送っていました。
放課後部室に集まって何らかのテーマに沿ってディスカッションをして、そのあとビリヤードに行くのが恒例になっていました。半分ビリヤード部にしたのは僕のせいです。
しかしことディベートの時期になると結構本気になっていました。
都内の国立図書館で休祝日だけはやむなく休んでも毎日朝から缶詰。ひと夏で6キロ痩せたのもいい想い出ですw
肝心のディベート結果は散々でしたが、そこに至るまでの過程で満足してしまったところもあるんでしょうね…。
そういえば初体験もこのころでした。どうでもいいですね、はい。
大学時代
中学生の頃「大学受験をしたくない、高校大学一貫の学校に入りたい」希望をかなえたのでエスカレーター式に大学へ行けました。赤点で単位がヤバかったんですが、担任の先生がどうにかしてくれたようです…。感謝!
サークル活動
大学では始め複数のサークルに加盟していました。
- 英会話サークル×2
- 国際交流サークル
- 合気道サークル
- その他数個
自分の中で試用期間と考えていたのか、ひと月くらいで国際交流サークルに決めてしまい、サークル費は結局どこも払わずじまいでした。何に使われるのかも明らかにされていませんでしたし。多分飲み会や合宿費の補助だったんじゃないかとは思いますけど。
成績
成績は、中の下だったんじゃないかと思います。ただ卒業するのにはギリギリの単位数だったような気もします。
しかし高成績重視のゼミに運良く入れたことはある意味分岐点でした。そのゼミに入るには現役ゼミ生(先輩)複数人を相手にした面接、ゼミの教授面接の二つをクリアしなければいけなかったんですが、現役ゼミ生は「どうでもいいんじゃない?」という立場だったのに対して教授が「こういう人もいたら(面白いし刺激になって)いいんじゃない?」と言ってくれたそうです。
よくよく考えると酷いw
ゼミでの立ち位置
ゼミの中での成績では他に敵うはずもなく、それなら他のことで貢献しよう、と庶務を担当しました。現役ゼミ生とOB/OGの名簿管理が通常業務なんですが、年に一度ある謝恩会と、OB/OG全てに声をかけて行うゼミ会の企画運営がありました。
この二つではちゃんと貢献できたと思います。
おかげさまで超有名な某化粧品メーカーのブランドマネージャになられた先輩と知り合うことができましたし。ただ、卒業後人づてに聞いた話で、現役ゼミ生となんらかの金銭トラブルがあったようです。が、そのときには卒業もしていたし全くかかわっていなかったので詳しいことは知りません。
アルバイト
このころ初めてのアルバイトを経験します。
ずっとやってみたかった接客のアルバイトを小さな喫茶店で始めたのが初めてです。当時の時給が750円。都内のコンビニなら1,200円とかもあったのに。
ただ、その次のアルバイトがパソコンのヘルプデスクでした。これが時給1,000円。
そのアルバイトからあるベンチャー企業に引き抜かれて、時給が1,500円になりました。始めのアルバイト代の二倍!w
これらの経験がきっかけでパソコンその他のIT関係に興味を持ち始めました。上で書いたゼミの名簿作りやOB会もパソコンのお世話になりましたしね。
就職活動
ゼミがマーケティング関係だったこと、それからアルバイトがパソコン関係だったことから二つの方向を考えていました。
一般消費者向けの商品を製造・販売している化粧品関係とIT関係です。幸いそれぞれ一つずつ内定を頂けたんですが、マーケティングができそうで社内の雰囲気も良さそうな会社にしました。
入社1-2年目
研修期間を終えた後は20人に満たない同期の中で唯一九州の営業に配属されました。そこで2年間営業をします。ノルマはありませんでしたが、散々な営業成績でした。
朝寝坊はするし遅刻はするし、一番ひどかったのは寝坊で商談を上司だけに行かせてしまったことです…最悪最低…対前年比も…orz
営業支部の他の方々は皆さん妻帯者で、遊び相手も遊び方も知らず、ひたすらゲームしかしていませんでした。今考えるともったいないことこの上ない。中洲とか天神、博多っていう絶好の遊び場所があったのに。
入社3-4年目
3-4年目は営業統括部へ異動になりました。
営業と社内のマーケティング部や商品企画部との橋渡しをする、という名目の部署でしたが、実際は社内の指示を一方的に通達する部署だったように思います。
営業が商談で使う商品連絡書や提案書の作成、販促物の企画制作などを行っていました。
きつかった出荷調整業務
ただ、一番きつかったのが商品が品薄になった時の出荷調整業務です。
品薄とはいえ、店頭で品切れを起こさせるわけにはいきません。よって、企業との取引実績を元にA社には10ケース送ってもいい、B社は3ケース、など割り当てていました。
この割り当て作業と、企業の担当者からのクレーム対応が僕一人に一極集中するという…全国のベテラン営業部員からのクレームはキツかった…です。
たかが入社3-4年目のぺーぺー青二才が対応したんですから。
今では専門の部署ができて、ベテランの方を含めて6名で対応していますが…当時は僕一人で、品薄や販売機会の損失は売り上げに直結するので下手すると株主総会で原因や責任を問われるほどの重役・重荷でした。
そして倒れる
これがきっかけで倒れました。3ヶ月の平均睡眠時間が土日も含めて3時間切ってましたから。当時は「ナポレオンを越えたぜ!」なんてネタにして話してましたが身体が追い付いていませんでした。睡眠不足と過労による自律神経失調症です。
他にも倒れた病気
他にも急性胃腸炎をひと月の間に二度罹患*4しました。一度の罹患で三日間食えず飲めず、上り下り超特急状態で、できることは脱水症状を起こさないようにすることだけでした。
それがひと月の間に二回です。一度罹患すると体重が5キロ減っていましたので、二回で体重が10キロ落ちました。不健康なダイエット方法を実践したわけですw
入社5年目以降
マーケティングに憧れて入社したものの、内情を知ってからはどちらかと言えばずっとパソコン関係の部署への転属願を出していました。
マーケティング部や商品企画部は外ら見れば花形の部署です。
しかし自社商品に対する愛情と、溢れんばかりのアイディアが湧き出てくるくらいの発想力、それらを形にするまでに行わなければいけないプレゼン能力や社内営業力、モチベーション。そして当然根底にはコミュニケーション能力が突出して必要に思えました。
ずっと提出していた転属願が叶ったのが入社5年目です。恐らく上に書いた、倒れたことも影響していたかと思いますが。
そうしてなんやかんやあって今に至ります。
このころ始めた趣味
ダーツ
部署でお世話になっている外注業者の社長さんとよく一緒にタバコを吸っていました。その時にした雑談で飲みに行く話になり、ガールズバーに行って初めてしたのがダーツとの出会いです。
社長さんがいなくても、キープしているボトルは自由に飲んでいいってことだったのでよく通っていました。キープされているボトルが無くなった時は僕が代わりにボトルを入れていましたので多分ちょうど折半できるくらいだったと思います。
ここで話すようになった常連さんから教えてもらったのが本格的なダーツバーです。席チャージもなくドリンクとダーツ代だけで済むのでダーツにかかるお金は大幅にカットできました。
このときは楽しかったので多いときは週5くらいで通っていました。でもダーツの腕は上がらずでしたw
乗馬
社会人になってずーっとやりたい、けど金銭関係がかかり過ぎる、と我慢していたのが乗馬です。乗馬のレッスンが受けられるところへ一度話を聞きに行って初期費用の多額さに辟易しながらも、帰ってから時間をおいて、やっぱりやりたい!と一念発起して入会したのが始めでした。
通えている時期がまばらなのでライセンスは5級しか持っていません。4級ライセンスになると調教された馬なら大体乗れるようになると思うんですが。
それでも外乗*5するのに抵抗はなくなる程度にはなっています。
外乗の思い出と言えば北海道です。自然豊かな環境をウエスタンスタイルで乗る乗馬はたとえ内容のないほど気持ちが良かったです。坂道を駆け上がったり、犬に驚く馬を制御したり、同時に犬は怖くないよ~と観察させたり。
気温は気持ちいいし乗馬の乗り心地はいいし景色もいいしで最高の時間でした。
カメラ
写真撮影に興味を持ち始めたのもこのころです。
まず始めはRICOHのCX3というコンパクトデジカメから始めました。RICOHのコンパクトデジカメはデザインこそ他社に劣るものの、機能面では突出していたんです。この後発売されたCX5は今でも愛用しています。
もっと綺麗な写真を撮れるといいなぁ…と悩みに悩んで購入したのがオリンパスのミラーレス一眼・EP-3でした。これは当時オリンパスのフラッグシップ*6として発売されたモデルで、同じシリーズにもう少し入手しやすいE-PL3がありました。
実際、RICOHのコンパクトデジカメCX3/CX5とオリンパスのE-P3は全くの別物でした。発色の素晴らしさ、ボケの出具合、なによりも初心者の僕がオートで撮ってもキレイさが次元違いなのは一目瞭然でした。
ただ、E-P3はミラーレス一眼の中ではコンパクトで軽い方と言っても、コンパクトデジカメと比べれば大きくてかさばるし重いのは仕方ありません。
ちょっとした記録程度でしたらスマホのカメラでもいいわけですからね。
マウンテンバイクに加えてクロスバイクも
ここでもハマっていたのがマウンテンバイクとクロスバイクでした。
マウンテンバイクは関東から持って行ったものを、クロスバイクはしばらくしてから購入しました。
それまでマウンテンバイクの頑強さに惚れ惚れしていましたが、クロスバイクの軽さと速さに魅了されたのも確かです。
クロスバイクでさえ時速40km位は軽く出せると思います。それだけのスピードが出せるならロードバイクだと…と考えるとやっぱりまだその速さが怖いです。
病気
インフルエンザに似た症状に罹患
二回ほどインフルエンザじゃないか!?と思えるほど高熱を出して一週間休んだこともありました。39-40度の高熱が一週間続いたんです。
内科の病院へ行ってインフルエンザかどうかの検査もしてもらったんですが、少なくともインフルエンザではない、と診断されました。
上司からもインフルエンザじゃなかったの!?と不思議そうに問われましたが、今でも分かりません。
自律神経失調症から躁うつ病へ
パソコン関係の部署に移る前から出ていた、異常な発汗(手足、頭をはじめとする全身から噴き出るように出る汗)、集中力の欠如、周囲の話す内容が理解できない、記憶力の極端な低下、骨の代わりに鉛が詰まっているんじゃないかと思うほどの重ダルさが酷く出るようになったのもこのころです。
関東にいる頃から営業の先輩におかしい、ひょっとしたら自分が行っている心療内科に行った方がいいかもしれないというアドバイスで通ってはいたんです。
転勤したからすぐに探したのも心療内科でした。自分に合う先生を見つけるまで五つくらいの場所を回りました。心療内科は先生との相性が一番大事ですから。
将来
漠然とした不安を抱きつつ、そのはっきりした原因・正体が見えないまま日々過ごしています。人間関係的なところや金銭的なところ、そもそも将来の衣食住はどうなるのかなど。
こういったことを内に秘めつつ、まずはブログを書いて少しずつ自分の考え方や進んだ方がいい方向性を見つけられたらいいなと思っています。
ただ、ブログを書くだけでは生産性がないというか。せっかく書くのなら同時に学べることもあるはず、学んだことからマネタイズもできれば成果が目に見えて分かりやすい、と考えていることも正直な思いです。読者が増えたとか閲覧数が増えるのも分かりやすい指標なんですけどね。
予想通り長くなりましたが、以上「自己紹介」でした。
*1:MTV: Music Television(エムティービー: ミュージックテレビジョン)はニューヨークとロンドンに本部を置く、アメリカの若者向けのケーブルテレビ・チャンネル。MTV – Wikipedia
*2:学校のサークル・部活動の英会話部、英語研究会など(English Study Society, English Speaking Society)の略称。
*3:ディベート(debate)とは、ある公的な主題について異なる立場に分かれ議論することをいう(広義のディベート)。討論(とうろん)や討論会とも呼ばれている。ディベート – Wikipedia
*4:病気にかかること。罹病。 「悪疫に-する」
*5:「外乗」 とは馬に乗って海や山などを駆け抜ける乗馬スタイルのこと。 美しい木々の間を駆け抜けたり、海を眺めながらトコトコと息を合わせながら歩くのも外乗の魅力です。外乗(野外騎乗):乗馬の楽しみ方|乗馬クラブクレイン|全国34ヶ所の乗馬クラブ
*6:フラグシップ機(フラグシップき、flagship model)は、ある分野で複数の製品を製造・販売するメーカーの商品群の中で、そのメーカーの象徴的存在となる製品、もしくはメーカーが持てる技術の総力を揚げて取り組んだ製品を指し、フラグシップモデルとも、もしくは単にフラグシップ(フラッグシップ)ともいう。通常、そのメーカーの最高価格品(最高級品)である場合が多い。フラグシップ機 – Wikipedia
コメント
言及ありがとうございます😊
こちらこそお許しをいただいてありがとうございました!
フォーマットはほぼid:nappiyさんのものを流用させていただきましたが、まさか自分でもこんなに長くなるとは…予想以上の長さになってしまいました…w
参考になったのみたいで嬉しいです!
ありがとうございます!
吉田彩 (id:tokui0109reply)さん
すみません、参考にさせていただきました!こちらこそわざわざコメントをいただいてありがとうございます!